【家族のルーツ】王家の血を継ぐ家 ― 義村御殿とは

今回は、私のルーツでもある琉球王族の家系、「義村御殿(よしむらうどぅん)」についてご紹介します。

私のひいおじいちゃん・義村朝義(ちょうぎ)、そしてその父・朝明(ちょうめい)は、まさにこの家に生まれ育った人物です。

義村御殿とは?

義村御殿は、かつて琉球王国に存在した王族の分家の一つで、もともとは第二尚氏(琉球王国を支配した王家)の血筋に連なる由緒ある家柄です。家の祖先は、尚穆王の第三王子・義村王子朝宜(ちょうぎ)。
彼は一時期、勝連間切(かつれんまぎり)の按司地頭(地方統治者)を任され、「勝連」の家名を名乗っていましたが、のちに「勝」の文字が使えなくなったため、「義村」と改称しました。

以来、彼の家系は義村御殿と呼ばれ、代々首里を本拠地としながらも、東風平間切(現在の沖縄県八重瀬町)を治める大名家として続いていきました。

系譜

  • 1世 尚周・義村王子朝宜
  • 2世 向成顕・義村按司朝睦
  • 2世 尚天保・義村王子朝顕
  • 3世 尚謙・義村王子朝章(尚灝王六男)
  • 3世 向志礼・義村按司朝明奥武親方朝昇五男)
  • 4世 向明良・小城按司(義村)朝真(義村朝明の長男)
  • 4世 向明徳・義村朝義 (義村朝明の次男)

和歌・政治・独立運動まで、多彩な人物を輩出

義村御殿は、文化・政治の両面で優れた人物を多く輩出しました。

  • 2世・朝顕(ちょうけん):沖縄の「三十六歌仙」に選ばれた歌人。教養と感性の持ち主です。

  • 3世・朝明(ちょうめい):私の先祖で、琉球王国が廃される(琉球処分)と、これに強く反発。清国へ亡命し、琉球独立運動を主導しました。

  • 4世・朝義(ちょうぎ):ひいおじいちゃんで、書や絵画、そして空手に長けた文化人でもありました。

義村御殿は、単なる家系図の一部ではなく、琉球王国の激動の時代に寄り添い、生きた歴史の証だと思います。

継承の工夫と強い意志

義村御殿には、歴代で跡継ぎがいないこともあり、何度も分家から養子を迎えることで家を守ってきた歴史があります。

それは、単なる形式的な継承ではなく、「この家の精神を次の世代へつなぐ」という強い意志の表れだったのではないでしょうか。

たとえ国が変わり、時代が移り変わっても、義村御殿はその血と志を静かに、しかし確かに受け継いできました。

家紋に込められた誇り

義村御殿の家紋は、
「子持ち丸に隅立て角に左三つ巴」。

この美しい意匠の中には、家族を守る強さと、歴史の渦を生き抜いた力強さが込められているように感じます。

最後に

義村御殿は、琉球王族の誇りを守り抜いた家系です。
その一員である自分が、こうして今、現代の暮らしの中で先祖の存在を振り返ることには、何か意味がある気がします。

遠い昔の話のようでいて、その歴史の一部が、確かに今の私の中にも流れている――
そう思うと、背筋がすっと伸びるのです。

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