【家族の記憶】琉球王国と運命を共にした祖先 ― 義村朝明について
今日は、私のひいおじいちゃん・義村朝義の父親にあたる人物、義村朝明(よしむら ちょうめい)についてご紹介したいと思います。
彼はただの“先祖”ではありません。琉球王国という国の終わりと新しい時代のはざまで、強い信念を持って生きた人物です。
首里に生まれ、王族の家に迎えられる
義村朝明は、1830年(文政13年)に首里で生まれました。
もともとは「奥武親方朝昇(おうおやかた ちょうしょう)」の五男でしたが、跡継ぎがいなかった「義村御殿(ぎそんうどぅん)」という王族の家に養子として迎えられました。これが、義村家3代目当主としての人生の始まりです。
彼は「東風平(こちんだ)間切」という地域(今の沖縄県八重瀬町)の総地頭(今でいう町長のような役職)になり、荒れ果てた地域を立て直すために力を尽くしました。
琉球処分に反対し、命を懸けた独立運動へ
1879年(明治12年)、日本政府によって琉球王国が正式に廃止され、国王・尚泰が東京に連れて行かれる出来事が起こりました。
これがいわゆる「琉球処分」です。
朝明はこれに強く反対し、「頑固党(がんことう)」という反対派の中心人物として行動を起こします。
日清戦争が起こると、清(中国)の勝利を願って活動しましたが、残念ながら清が敗戦。
それでもあきらめず、長男の朝真とともに清国・福州へ亡命し、「琉球を独立させてほしい」と中国政府に訴え続けました。
しかしその夢は叶わず、1898年、福州で静かにこの世を去ります。享年68歳。
家族への想い、そして受け継がれる信念
朝明には多くの子どもがいました。
その中でも、私のひいおじいちゃんである義村朝義(ぎそん ちょうぎ)は、父亡きあと家督を継ぎ、書道や空手に生きた文化人でした。
もしかしたら朝義も、時代に抗いながら生き抜いた父の背中を見て育ったのかもしれません。
そう思うと、家族の歴史の中にある「信念」や「気骨」が、時を超えて今の自分にも流れているように感じるのです。
系譜
- 父:尚謙・義村王子朝章
- 実父:向文輝・奥武親方朝昇
- 実母:思戸(向大儀・松島親方朝常の娘)
- 室:思戸金(馬氏内間親雲上良経の娘)
- 長男:向明良・小城按司朝真
- 長女:眞蒲戸
- 継室:眞蒲戸金(尚健・伊江王子朝忠の娘)
- 次男 向明徳・義村按司朝義
- 四男 向明通
- 六男 向明錦
- 三女 眞鶴金
- 九男 向明秀
- 妾 牛(西原間切小橋川村百姓呉屋筑登之の娘)
- 三男 向明遠
- 五男 向明達
- 次女 思戸金
- 七男 向明廉
- 八男 向明藹
最後に
義村朝明、彼の名は教科書に載っているわけではありません。
でも、家族の記憶の中で生き続けるべきひとりの誇り高き人物だと思っています。
今の時代を生きる私たちにとって、彼のように信念を持って生き抜く力は、きっと何かのヒントになるはずです。