ミニマリスト主婦をやめません!

本当にミニマリスト主婦になりたいのは今日でさらに分かりました。別に物たちが悪いってわけではありませんが、物は何のためにある?って色々考えました。

  • 物たちの意味
  • 物の数は人それぞれ
  • 日本の家は狭い事実
  • これからの私

物たちの意味

そもそも物って何のためにあるの?って聞いてもバカじゃないのか?そんなの聞かなくていいでしょう!でもねやっぱりその理由が知らない人たちがいるからこそ、次々に本当に必要でもない物たち次々に欲張って欲しくなると思います。ディオゲネスって分かりますか?それって物を集めて家をゴミ屋敷にする事なんでしょう!。。。。。いいえ。。。それは「ディオゲネス症候群」って言う。

私は言うのは古代ギリシャの哲学者のディオゲネスの事です。正確で言うと「シノペのディオゲネス」です。彼は師の「徳」に関する思想を受け継ぎ、物欲から離れて粗末な衣服に身を包み、住居は大きな樽を横にしたものでした。って事は超ミニマリストすぎた人でした。

私はディオゲネスのような人になりたいと思っていないよ!でもミニマリストたちをバカにする人っていて、ディオゲネスになれば?って言われます。とても失礼な事ですね〜〜

題に戻って、物って何のためにあるの?物(物質)は私たち人間の生活を便利にする為の道具にすぎません。人間だけではなく動物にも同じです。便利=楽、楽しく、遊ぶ。。。。。物はもちろん必須品です、私たちの体を守る為に衣類が必要です、生活をする為に家だって必要、場所が必要、食べ物も物です、食べないと死にますから食べ物も必要。

では物ってなんなの?何でミニマリストは少ない物で生活をしたいの?現在社会では物たちが多すぎる、持つほどもっと欲しくなる、例えジーンズ3枚を持っていても、ショッピングモールへ行って、デザイン等に誘惑され、更に一枚を買う。実際2枚だけのジーンズを使いまわしている事実なのに〜。モデルさんではない限りはそんなに多い洋服が必要ないと思います。楽器類も同じ、楽器のアクセサリーとか、機器のアクセサリーはどんどん新しい物が開発され、次々買ってしまう事あるでしょうね。

でも、人はそれぞれです。人類全員はミニマリストになっていたら物たちは売れなくなって経済も回らなくなるって言う事実です。私は一度多くの物たちを持った事がある、お金持ちの家に育てられたのはラッキーでしたけど、結局大人になっていつの間にかお金は親の物で私のお金ではないことに気がついた。当たり前と思っていた物は全てなくなって辛い思いをした。それで私は50代になってミニマリズムって言うライフスタイルを見つけて、新しい生き方を歩もうとしています。

物の数は人それぞれ

その通りです。しかし物たちは場所が欲しい、どっちを優先します?物を置く場所、それともルンバを掃除する場所?違う、それとも自分は自由に歩ける場所?私なら空間が欲しいね!物で溢れている部屋はホコリが集まって、きれい好きの私は毎日の掃除が大変です。

ちなみに精神的な部分でもある、物の溢れた部屋で安心感を求める人もいるらしい、物がないと不安って事、例えばトイレットペーパーや日常用品がいっぱいないと不安って感じる人等。

物の数は人それぞれだけど、実際物の量を管理ができる数って決まっています。多くを持っていても、覚えている数がそんなに多くではない、実際どこかで眠っている、押入れ、引き出し、タンス等、それは物事態がかわいそうです。

物を大切にするのは、その物を使ってあげる事だと個人的に思っています。

日本の家は狭い

狭いんです、私は南米で育てられて家は広かった、物たちが多かったのが覚えています、しかし圧迫感がなかった、なぜなら家が広かったからです。しかし日本の家のほとんどは狭い(田舎は別)です。工夫をして収納、収納アイデアはすごい優れいます。昔は収納の本が好きでよく買って読んでいました。そのお陰で収納グッズや100均のケース、収納ボックが溢れて、だんだん家がもっと狭くなって圧迫感があった。

やっぱり狭い家だから欲しい物の全てを入れる事ができないのは事実です。まして家族と住んでいる私だからミニマリストではない夫の物が増えるいっぽう。ミニマリスト主婦である私はミニマルな家には住めないができるだけ自分の空間を作ろうとして大きな家具を減らしました。

持っていない物で幸せに生きられる。今持っている物だけで幸せに生きられる、それはミニマリズムが教えてくれました。欲しくて買えない物ってそんなに必要って自分に聞かされた事がある?気持ちよく寝られる場所、着られる清潔な洋服、暖かいご飯を食べられて、おいしいコーヒーを飲めて、きれいで安全なお水でシャワーも浴びれる、電気もあって、健康であって、あとは何が欲しい?追加をするとしたら私はマイスマホ&マイパソコンがあれば、それで十分です。

物はお金があれば、いくらでも手に入る、しかしお金があっても手に入れられないことは複数あります。人の愛情、人の幸せ、本当の自由、体の健康、本当の友だち、幸せな家族。。。。。。他〜〜〜〜時間はお金で買えない、時間は私たちの人生でもあるから、物たちで揉めるような事をするのは自分の人生を削っていると同じです。しかし分からないよね、世の中余計な物に支配される人たちの方が多いと思います。

これからの私

もちろん、ミニマリストへの道へ歩みます。この世には物を買う為に生きているわけではない、私は生きている意味は買い物をするよりはもっと大切な意味があるはずです。残念ながらまだ見つかっていません。本当に今はお金を稼ぐ為に生きている部分もあります、なぜなら生活をしないと行けません。しかしお金は目的ではなく、お金はとても便利道具です、社会はお金で動いています、現在社会はお金に支配されていますから必死で好きでもない仕事をして、お金をもらうためです。たまに考える、私はこうやってブログを書いて、綺麗事を書いて、実際の実行は何もしていません。

しかしこれから私は色々を考えるべき事がいっぱいあります。このままでいい?ってよく自分自身に聞く、幸せって何なの?結婚をする事?子供を作る事?それは社会の勝手なルールです、人々は演技しています、幸せを求めているのに幸せである事を演技する。なぜなら羨ましがれるのは気持ちいい。汚れた裏を見せるのが怖くて、演技を続けます。演技をするのは疲れる、その疲れは私にはもう飽きたからミニマリズムへの道を選びました。

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